代官山地域の良好な生活環境を守る会の活動 2001-2003

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代官山では、2000年12月に地元ビルオーナーが総合設計制度を利用して所有ビル2棟を1棟の高層ビルに建替える計画があることが判明したことを契機に、周辺環境から突出し、周辺景観との調和を乱す悪しき前例となる建築物の建設計画の見直しを求める活動組織として「代官山地域の良好な生活環境を守る会」が結成されました。この活動は、渋谷区認定まちづくり協議会第一号である「代官山ステキなまちづくり協議会」が設立される端緒となったものです。

当時の状況


代官山では、1927年(昭和2年)に関東大震災の復興住宅として完成した同潤会渋谷アパートメントを建替えることを目的として、渋谷区市街地再開発事業第一号として「代官山地区第一種市街地再開発事業」が1990年(平成2年)に事業認可され、1994年(平成6年)に再開発組合が設立され、1997年(平成9年)に着工、2000年(平成12年)8月に「代官山アドレス」が完成しました。
「代官山地区第一種市街地再開発事業」の事業認可にあたり、渋谷区では1996年(平成8年)に地区計画の変更をおこない、事業用地を高度利用地区に指定し、17,262㎡の敷地に地下4階地上36階の建物を含む住宅501戸および商業棟、渋谷区施設、東京電力施設が建設されました。最も高い代官山アドレス タワー棟の高さは119.9mになっています。

代官山地区-都市計画-1996年(平成8年)

代官山プラザ&代官山アネックス建替え計画


代官山アドレスが完成した2000年(平成12年)の12月20日に、八幡通り沿いの代官山駅至近にビル2棟を所有し長年に亘り診療所を経営してきた建築主と、そのビル2棟の建替え工事を受注した鹿島建設から近隣住民に対して、総合設計制度を利用する建設工事の計画が公表されました。
この計画の敷地面積は1815.32㎡(549.13坪)で、用途地域は第2種住居地域、第2種中高層住居専用地域、第2種低層住居専用地域にまたがっており、法定の容積率は358.18%、建蔽率は80%の場所になります。それに対して、総合設計制度を利用することによって、当初の計画では実質的な建物全体の容積率は706%になり、共同住宅の建設が計画に含まれるために共有部分が容積対象面積から除外されるために、表向きには548%の容積率で、約70m程度の高さ(建物最高高:80m)になる21階建のビル建設をおこなう計画でした。
1996年(平成8年)に渋谷区地区計画の変更がおこなわれるまでは、八幡通り沿道の用途地域は住居地域で建蔽率は60%、容積率は400%と定められており、1996年(平成8年)の変更後は第2種住居地域になりましたが規制の内容は変わっていません。そのため、八幡通り沿道には高い建物でも代官山東急アパートメントの8階建や代官山パシフィックマンションの7階建程度しかありませんでした。

総合設計制度とは


関東大震災による被災、太平洋戦争時の空襲による焼失などを経て、日本の建築基準は一貫して市街地の不燃化と強固化を目指す法整備をおこなってきました。
高度成長期の1960年代の状況について国は「零細な敷地に小規模な中高層建築が乱立」し「長期的な都市資産の形成という立場からみると、必ずしも望ましくない場合が多い」と認識していました。そのため、脆弱で燃えやすく低利用の市街地に対し不燃化と強固化を伴った建物の更新を促進することが、当時(1970年頃)の市街地全般のきわめて重要な課題と考えられていたといわれています。
そこで、1970年6月25日~1971年4月2日の期間「総合設計委員会」が設置され制度設計が検討され、1971年9月1日に「総合設計に係る許可準則、技術基準」の建設省住宅局長通達が発せられ、1976年11月15日に建築基準法の改正がおこなわれました。委員長にはINA新建築研究所の広瀬貞之氏が任命され、東京大学の伊藤滋氏をはじめ20名の委員で構成されていました。

総合設計制度は、その趣旨に「容積及び形態の制限を緩和する統一的な基準を設けることにより、建築敷地の共同化及び大規模化による土地の有効かつ合理的な利用の促進並びに公共的な空地空間の確保による市街地環境の整備改善等を図ること」を目的とすると書かれています。
当初「総合設計委員会」では、合理的な建物を作ることによる地域社会への貢献が制度の主目的であり、「空地の確保による貢献度でボーナスを与える」との考え方が示されていました。
確保する有効な空地は「公共空地」とし、その条件として公共に開放し不特定多数の人々の自由な利用に供すること、車の進入を排除した歩行者のスペース、歩行者の憩いの場であること、臨時的な利用をむしろ好ましいとし、児童遊園・スポーツ・レクリエーション施設等の具体的なアクティビティ重視の考えなどが明確に示されていました。
しかし、最終的に策定された技術基準では、空地の名称が「公共空地」から「公開空地」に変更されることになり、公共目的は後退してしまいました。

総合設計制度は公開空地の設置等を条件に、用途地域の規定に反して容積率、高さ制限等の緩和をおこなうものです。したがって、この制度を利用することで局所的に用途地域の規制が断絶され、用途地域の穴抜き状況を作ることになります。この穴抜き状況が建築審査会への審査請求や行政訴訟などの建築紛争をもたらす原因となっているのは、総合設計制度が、敷地外の立地条件を全く考慮せずに、敷地内だけで数値基準を満たしている限りにおいて許可を与える制度になっていることから引き起こされています。
そのため、土地所有者が周辺環境から突出した建築物を自由に建築すると、局所的に市街地環境に断絶が生じて当該建築物により周辺の環境が悪化することになります。これを、市場を通じておこなわれる経済活動の外側で不利益が発生して、個人、企業に悪い効果を与える「外部不経済」と言い、経済活動を個々人の自由に委ねると最適な資源配分とならない「市場の失敗」の一例とされています。
つまり、総合設計制度を利用して土地所有者が周辺環境から突出した建築物を自由に建築すると、市場の失敗と同じ状況が生まれ、周辺環境悪化、外部不経済が生ずることになります。

これは、総合設計委員会が目指すべき環境水準の考え方を十分に示さず、新たに立面面積規制という方式が導入されたものの、これまでの仕様書型の基準を置き換えただけで「実効型基準」の考え方からは疑問が残るものであり、周辺への配慮を含む実質的・総合的な市街地環境への貢献を評価・判断する手段やプロセスが用意されていないことが課題であると云われています。

このため、計画の許可をおこなう地方行政庁が裁量判断をおこなうための考慮事情として、例えば定性基準の内容として、「周辺環境と調和した建築スケールに配慮する」とか、「周辺との連続性に配慮する」「分棟、分節等によりボユーム感を軽減し、周辺景観と調和させる」等の抽象的文言を明示的な要請として付加する方法が考えられるといった意見もあるようです。

要望書の提出


2000年(平成12年)の12月20日に総合設計制度を利用した21階建ビルの建築計画があることが判明すると、これは「近隣住民の生活環境を無視した計画である」ということが、建設予定地周辺の近隣住民の一致した意見としてまとまり、計画の再考を求める活動をおこなうことになりました。
そこで年明け早々の2001年(平成13年)の2月4日に「代官山地域の良好な生活環境を守る会」の準備会を組織し、
(1)計画の見直しを近隣住民の権利として要求する
(2)建築審査会および関係行政庁に対して地域の利害などを含めた総合的な見地から審査するよう要望する
(3)地域の形成や現状、今後の問題について、専門家にも参加してもらい、都市計画における代官山地域のあり方の提案をおこなう
(4)関係行政庁に対して、地域住民との対話、公聴会等を開催し、都市計画において住民の意思を十分に反映させる努力を払うよう要望する
(5)陳情・請願に必要な代官山地域に関わる全ての人の署名運動を展開する
との活動方針を固めました。

代官山プラザ&アネックス建替計画に関わる意見書

この地域住民の行動に呼応して、ヒルサイドテラスの設計者である槇文彦氏は、2001年(平成13年)2月6日付で東京都建築指導部宛に「代官山プラザ&アネックス建替計画に関わる意見書」を送付し、
・総合設計制度による割増は敷地所有者の権利として当然認めるというものではなく、それによって損なわれる地区の利害などを含めた総合的な見地から許可の当否を判断すべきである。
・総合設計制度はあくまでも特定の敷地における制度であるが、これを認めるか否かは敷地を超えて今後どのような地区を形成してゆくべきか、そのあり方をあらかじめ定めておくべきである。
・重要なことは、この1件が認められると、今後、類似の計画が次々に行われて地区全体を全く変化させかねない。
・この計画は総合設計制度の名の下にこれまで営々として続けてきた地区の努力や価値を一方的にくいつぶし、結局は地区全体の価値を破壊していくおそれがあることを考慮すべきである。
との意見を表明しました。

※左:2001年の八幡通り 右:総合設計制度が多用された八幡通りのイメージ

「代官山地域の良好な生活環境を守る会」は2001年3月21日に「代官山プラザ&アネックス建替計画の見直しについての要望書」を作成し、石原慎太郎東京都知事、森下尚治東京都建築指導部長、小倉基渋谷区長、坂本勝央渋谷区議会議長宛に提出しました。またあらためて、隈健吾氏、原広司氏、益子義弘氏、槇文彦氏をはじめとする建築家および有識者17名の連名による「代官山プラザ&アネックス建替計画に関わる意見書」も提出しました。また、並行して進められた署名運動では1,500名以上の署名を集めることが出来ました。

勉強会の開催とニュースレターの発行


「代官山地域の良好な生活環境を守る会」は、その活動が単なる高層建築の建設に対する反対運動に留まることなく、代官山の地域環境をより良いものにしてゆくための市民活動として推進してゆくために様々な活動に取り組みました。

NEWS LETTER 第1号

2001年 6月16日「代官山のステキを大切にしたい!第1回勉強会」参加者:55名
講演:株式会社スタジオ建築計画 元倉真琴氏、株式会社首都圏総合計画研究所 井上赫郎氏、東海大学建築学部助教授 加藤仁美氏
「総合設計制度」「地区計画」についての理解を深めました。


第2回勉強会 2001年7月21日

2001年 7月21日「代官山のステキを大切にしたい!第2回勉強会」参加者:43名
「今感じている生活上の問題点」についての話し合いをおこないました。

第3回勉強会 2001年9月30日

2001年 9月30日「代官山のステキを大切にしたい!第3回勉強会」参加者:47名
ゲスト:墨田区建築指導課長 河上敏郎氏 「代官山がいま抱える問題の解決につながる地区計画」についての質疑応答

2001年11月18日「代官山のステキを大切にしたい!第4回勉強会」
講演:東海大学建築学部助教授 加藤仁美氏 「代官山地区計画の方針・試案」 実態調査に基づき作成した地区計画の試案が発表されました。

代官山の現状マップ

2002年2月10日「代官山地区計画策定に向けたタウンウォッチング」参加者:33名
地区計画試案の対象範囲をリサーチし「代官山の現状マップ」を作成しました。

代官山井戸端会議 2002年6月2日

2002年 6月 2日「代官山井戸端会議」 参加者:84名
・30年前~現在の代官山写真展 ・10年前の代官山のビデオ上映“代官山は今” ・新旧住民の自由な意見交換をおこないました。

2001年10月16日「代官山地域の良好な生活環境を守る会」が正式に発足しました。
会長:株式会社朝倉不動産専務 朝倉健吾氏

2002年10月26日「第2回タウンワーク 西郷橋下落書きペイント」
旧山手通り猿楽橋下トンネル内壁面の落書き消しと塗り絵を実施しました。

まちづくり井戸端会議 2002年11月1日

2002年11月1日「まちづくり井戸端会議」
渋谷区まちづくり課担当職員を招いて地区計画の策定に向けた意見交換をおこないました。

地区計画制度とは


地区計画とは、地区の課題や特徴を踏まえ、住民と区市町村とが連携しながら、地区の目指すべき将来像を設定し、その実現に向けて都市計画に位置づけて「まちづくり」を進めていく手法です。
地区計画には「地区計画の目標」「地区計画の方針」「地区整備計画」を記載し、
「地区整備計画」の具体的内容である「建築物等に関する事項」には、
・建築物等の用途の制限 ・建築物の容積率の最高限度又は最低限度 ・建築物の建ぺい率の最高限度 ・壁面の位置の制限 ・建築物等の高さの最高限度又は最低限度 などを定めることができます。

都市計画法では、第十六条2に「都市計画に定める地区計画等の案は、意見の提出方法その他の政令で定める事項について条例で定めるところにより、その案に係る区域内の土地の所有者その他政令で定める利害関係を有する者の意見を求めて作成するものとする。」と定めてあり、
同条3には「市町村は、前項の条例において、住民又は利害関係人から地区計画等に関する都市計画の決定若しくは変更又は地区計画等の案の内容となるべき事項を申し出る方法を定めることができる。」としています。

「渋谷区まちづくり条例」では、「区域内の土地の所有者その他政令で定める利害関係を有する者」に加えて「認定まちづくり協議会」も「地区計画の案」を渋谷区に申し出ることが出来ると定めています。
「地区計画の案」を受けた渋谷区は、都市計画審議会の意見を聴いた上で、当該都市計画の決定又は変更をする必要があるかどうかを判断し、必要があると認めるときは、その案を作成することになっています。

地区計画制度は、本来は「財産権の制限に対する利害関係者の擁護」と「広範な住民参加の実現に対する要請」を両立しながら「地区にふさわしい建築物の建築を誘導する」という趣旨で制定された制度であるため、利害関係者全員の合意は要さない(一定率の同意を得る「同意調達」で良い)と判断されています。しかしそのために、具体の建築行為に対しての強制力は勧告の範囲に留まります。ただし、地区計画で定めたルールを市町村が条例化すれば強制力が付与されます。一般的には、利害関係者の80%の合意によって地区計画は認定されているようです。

代官山プラザ建替計画事業者との協議


2001年10月4日 「(仮称)代官山プラザ建替計画説明会」が開催され、当初の26階建から段階的に規模を縮小した19階建での建築計画が施工業者である鹿島建設から説明されました。

2001年12月4日 (仮称)代官山プラザ建替計画説明会議事録および質問・要望に対する回答書が鹿島建設から会宛に、説明会開催から2か月を経て提出されました。
説明会開催から回答書の提出までの期間に、鹿島建設は「中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例」で定められた、建設する建物の高さの2倍の距離の範囲内である近隣関係住民の中から建設賛成への誘導が見込める人を対象にアンケート調査をおこなっていたことが判明しました。

2002年2月13日 渋谷区長、代官山プラザ建替計画事業者、代官山地域の良好な生活環境を守る会代表の3者会談を実施しました。

2002年2月28日 代官山プラザ建替計画事業者と代官山地域の良好な生活環境を守る会代表の合計6名による協議により、
・代官山地域の良好な生活環境を守る会が目指す「八幡通りの建物高さは30メートル以下の確保」に沿った計画とすること
・前面道路部分の空間を確保すること
・総合設計による25%の割増面積に合意すること
・工事は2期に分けておこなうことについては隣接住民との話し合いで理解を求めること
・計画の見直しと、その案作成は事前に隣接住民へ説明、理解を得た上で進めること
が合意され、建替計画の見直しがおこなわれることになりました。

2002年7月31日 代官山地域の良好な生活環境を守る会代表と渋谷区長との面談を実施しました。

2002年8月2日 「事業者からの計画を聞く会」開催に向けた代官山地域の良好な生活環境を守る会と施工業者鹿島建設株式会社との協議を実施しました。
鹿島建設からは、建替計画最終案として16階建、建物高さ53mで了解してもらいたいとの要請を受けました。

2002年9月7日 「事業者からの計画を聞く会」 建築主、建設事業者、代官山地域の良好な生活環境を守る会、隣接住民が出席し、建設計画の最終案について説明されました。
建築主からは、この開発のために既存建物に隣接する家屋2棟も買収しており、当初検討していた26階建の計画を16階建までに抑えることによって事業採算性が極限まで低くなり、さらに規模を小さくすると金融機関からの融資も受けられなくなることから、事業自体を諦め土地の売却を決断せざるを得ないところであり、16階建での建設を容認してもらいたいとの説明がありました。

代官山プラザ配置図最終決定案

2002年11月1日 建築主と代官山地域の良好な生活環境を守る会の間で「合意書」が締結されました。
合意内容:
1.建築主は代官山地域の良好な生活環境を守る会(以下、守る会)の「代官山地域の良好な環境を守り将来に亘って住民が快適に住み続けられるまちづくり」の目的を理解し、まちづくりのルール(地区計画)策定に賛同・協力する。
2.守る会は、建築主の本建替計画を理解して本建替計画の円滑な推進に協力する。
建築主および守る会は、本合意書の締結により守る会が都庁等関係官庁に提出済みの本建替計画に反対する要望書等の効力は失効したものであることを相互に確認する。
尚、守る会は、関係官庁から許認可に妨げになるので取り下げるようにと要請がなされた場合は、速やかに上記要望書等を取り下げる。
3.建築主は、本建替計画に関し守る会及び隣接住民の要望をできる限り取り入れるように努め、建築主及び守る会は、相互に協力して本建替計画が代官山地域の将来に渡り望ましい形態になるよう努力する。
4.建築主は、前項の隣接住民らの要望を反映するため、隣接住民が参加できる協議の場を設け、隣接住民と設計段階・工事期間中及び工事完成後において発生することが予想される諸問題について誠意を以て協議し、問題解決に努める。

2003年9月 代官山地域の良好な生活環境を守る会及び隣接住民は建築主と施工業者鹿島建設株式会社との間で、「お約束事項」を遵守し、3者の関係を円満に維持するために2ヶ月に1回のペースで協議会を開催することなどを盛り込んだ「工事協定書」を締結しました。

合意書締結のその後


2003年10月に「代官山ステキな街づくり協議会」設立のための準備会「代官山の明日を考える会」を設立。2004年4月に渋谷区認定まちづくり協議会第1号として「代官山ステキな街づくり協議会」が正式に発足しました。

八幡通りの景観の変化


八幡通り 1987年4月14日

八幡通り 2000年前後

八幡通り 2016年9月2日

参考文献:『総合設計制度創設における制度設計の論点と課題』『総合設計をめぐる紛争と制度的解決に向けての考察』

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