代官山T-SITEの10年

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2021年5月29日(土)に、代官山T-SITE館長の田島直行氏を講師に迎えて、代官山ステキな街づくり協議会主催の代官山セミナー「代官山T-SITEの10年」がヒルサイドバンケットで開催されました。

代官山T-SITEの3棟建ての蔦屋書店が建てられている土地は、元々は朝倉家が所有していた地所を、明治時代にたばこ王岩谷松平と宣伝合戦を繰り広げた村井商會が煙草製造業廃業後に村井貯蓄銀行を設立しましたが、その取締役であった村井五郎が1917年(大正6年)に購入し、関東大震災後の1924年(大正13年)に村井五郎が上大崎に新居を建て転居するにあたって、現在は隅田公園(墨田区向島一丁目)の一部になっている水戸徳川家小梅邸が関東大震災によって焼失したことにより、水戸徳川家第13代当主の徳川圀順(くにゆき)がこの土地を購入して転居してきた場所です。
徳川圀順が太平洋戦争敗戦後にすべての公職を辞した後、1947年(昭和22年)に世田谷に転居するに際してこの土地は日本交通公社に売却され、その後ノースウェスト航空が取得し社宅として使用していましたが、2006年にその地上権を不動産ファンドであるセキュアード・キャピタルが取得したことによって、代官山ステキな街づくり協議会が、その開発の方向について協議を申し入れたところ、カルチュア・コンビニエンス・クラブの資産管理会社である株式会社ソウ・ツーにその地上権を売却しました。


旧徳川圀順邸-ノースウェスト航空社宅

この土地に隣接する代官山T-SITEの駐車場とT-SITE GARDENが建設されている土地は、大正生命保険(現在のプルデンシャル ジブラルタル ファイナンシャル生命保険)の創業者である金光庸夫(かねみつつねお)が1928年(昭和3年)に朝倉家から購入した土地でしたが、のちにNTT(旧日本電信電話公社)の社員住宅団地として使われていたところが2007年に閉鎖され、NTT都市開発に所有権が移転しその利用が検討されていたところ、具体的な計画に至らなかったため、代官山ステキな街づくり協議会からの提案によりカルチュア・コンビニエンス・クラブに定期借地契約で貸与することになりました。


NTT社員住宅団地

このような経緯で、代官山T-SITEの開発はスタートすることになりましたが、2007年から2011年12月5日の開業までの期間、カルチュア・コンビニエンス・クラブは代官山ステキな街づくり協議会との協議を重ねる中で、その意見・提案を参考としながら開発計画を昇華させてきたようです。

カルチュア・コンビニエンス・クラブは、代官山でスタートさせる新事業を構想するにあたりその前提となる時代認識の大きな柱として、人口構成の変化に着目しました。
人口構成比率の最も高い団塊世代はファッション誌『an・an』が創刊された1970年頃に大学卒業を迎え、日本の国民所得(GNP)が資本主義国で第2位となり、戦後の経済成長が頂点を迎え「一億総中流化」したと云われた時代に、可処分所得の増加によって消費の中心層になっていた世代です。

2010年頃にこの豊かさを享受してきた団塊世代が60歳を過ぎて仕事をリタイアすることによって、貯蓄されてきた個人資産がもたらす経済的ゆとりに加えて時間的なゆとりをも併せ持ったクラスターが大量に出現することになってきました。
T-SITE開業前に発刊された『代官山オトナTSUTAYA計画』でも記載されているように、お金と時間に余裕があり、消費支出において大きな割合を占めることになってゆく団塊世代を「プレミアエイジ」を表現して、それをターゲットのコアに設定してT-SITEは計画されました。

2014年の日本経済新聞の記事によれば、年代層別の消費支出に占める割合は、60歳台以上の世代の割合が上昇し、それ以下の世代の割合は減少の一途を辿ると予測されていたようです。つまり、今後市場が期待できる消費者層は60歳以上の人々しかいないという見立てになっているということです。
その一方で商業施設は飽和状態とも言えるような状況になっており、新事業の開発にあたっては経済的余力のある人々の消費意欲を掻き立てる「場の提案力」を重視することになったようです。

その実現に向けて代官山T-SITEではテナントスペースである「T-SITE GARDEN」の中にイベントスペースとしての「GARDEN GALLERY」を配置するとともに、年間に600以上のイベントを企画・実施することによって、施設としての鮮度を維持すると同時にその発信力を保持し続けています。

また、商業施設、建築物としての世界的評価も高く、海外有名ブランドがプロモーションイベントを実施したり、海外のセブリティが立ち寄り先に指定するなど、様々な形で注目を集めることが出来ています。

そのために、代官山T-SITE自体が宣伝広告をおこなう必要性は低く、様々な媒体で代官山T-SITEは取り上げられており、そのパブリシティの効果を広告換算値として試算すると、2015事業年度から2019事業年度の5年間では、そのテレビにおける露出量をスポットCMの広告料金に換算した場合、85億7,600万円に相当することになるそうです。

一般的な商業施設は、開業時に大掛かりなオープニングプロモーションを実施し、その話題性によって集客を実現しますが、そのほとんどは開業年が来館者数のピークであり、以後減少の一途を辿ることになっているようです。

それに対して代官山T-SITEは、開業時のプロモーションは一切おこなわずに事業をスタートさせました。そのため、開業日の開店時間の来館者数は5名しかいなかったようです。

そのようにスタートした代官山T-SITEですが、開業から5年間は毎年来館者数が増加し、それ以降も来館者数が減少することはなくほぼ一定の水準を保っているようです。(但し、コロナ禍にあっては来館者数は減少しました)

代官山T-SITEは、多額の個人資産を保有しているプレミアエイジをメインターゲットとしてはいますが、施設全体がその層にしか利用できない店舗構成になっているのではなく、2020年頃から時間的なゆとりを持つことになる第2次ベビーブーマー世代も、経済的なゆとりは無くても時間的なゆとりはある若年層や人口に占める割合が増加の一途を辿る低所得者層に対しても魅力的な施設であることを目指しているそうです。

その一例として、コーヒー1杯を異なる価格帯で提供する3つの場が用意されていることが示されました。

実態としての利用者数を見ると、その男女比は4:6で女性が多く、その中でも24歳前後の女性が最も多くなっているようです。彼女たちが主として利用しているのはスターバックスですが、施設全体における売上の貢献度が最も高いのは50~60歳台の年齢層になっているそうです。
また、1日における来館者数の平準化を図るために、早朝に開催するイベントを企画・開催するなどの取り組みをおこなっているようです。

また、代官山T-SITEには世界中の極めて広い範囲の国々から来館者が訪れていますが、利用者数全体に占める割合は6%程度に過ぎず、外国籍の利用者の中で最も多いのは台湾国籍の人々であり、中国人観光客が爆買いを目的として訪れるような施設にはなっていないようです。

その一方で、代官山T-SITEから半径3㎞の範囲内の、明治通りと環状7号線の間で、淡島通り以南、目黒通り以北の範囲に住んでいる人々は、概ねその半数以上の人が代官山T-SITEを1年に1回以上利用しているというデータがあるようです。

Google Mapでそのエリアを確認してみると、東横線の中目黒、祐天寺の周辺住人および、田園都市線の池尻大橋周辺の住人であり、半径3㎞以内の在住者が利用者全体に占める割合は20%近くに達しているそうです。

そして代官山T-SITEは、概ね代官山から横浜市港北区(綱島~菊名)の辺りまでの、15㎞程度の範囲内に居住している人が利用者全体の過半数で、55%程度を占めていると考えられるようです。
※東横線代官山駅-大倉山駅間の走行距離=16.0㎞

代官山T-SITEから半径2㎞の範囲内の居住者に対しておこなったアンケート調査によれば、2019年の時点でも非常に多くの人々から満足しているという回答が得られており、大規模な集客施設でありながら近隣住民にとって好感度が高い施設として評価を得ていることになるようです。

この近隣住民については、代官山T-SITEの調査によれば「感度の高い目利きであり、自分のための積極投資を楽しみ、仲間とのつながりを大切にする人たち」という傾向が見られるようです。

代官山T-SITEは、開業から10年を経た現在、「一過性の集客や話題性ということではなく、代官山という街と一緒に成長してきた」という認識を持っているとのことでした。

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