新型コロナウイルス感染症の拡大に触れて今思うこと…

FOR LIFE

今日は2020年4月19日(日曜日)です。
昨日の雨天とは打って変わり、日差しは温かく空気も澄み切った快晴の一日となりました。

3月25日の小池東京都知事による外出自粛要請以降、公共交通機関を利用したのは2回だけという生活を続けていますが、家人も仕事が自宅待機の状態となったことでもあり、ほぼ毎日、天気が良ければ日用品の買い出しのために、人通りの多いメインストリートを避け、わざわざ遠回りをして閑静な住宅地の路地を散策しながら、少々の買い物に2時間ほどの時間をかける生活を続けています。
雨上がりのせいでしょうか、自動車交通量も少しは減っているからでしょうか、目に鮮やかな新緑に改めて気づき、昔は東京で目にすることは殆どなかったヒヨドリやムクドリのさえずりを聞き分けたり、ここ数年は目にすることが少なくなったシジュウカラの可愛らしい鳴き声がすると、立ち止まってその姿を探してみたりと、昭和の初めに田園都市株式会社が宅地分譲をおこなった界隈の住宅地環境が、今では細かく切り売りされて情けない住宅地になってしまっているとはいえ、まだまだ捨てたものではないことを確認している今日この頃です。

不要不急のまち歩き途中の踏切で電車が通り過ぎるのを待つ時は、通り過ぎる電車の車窓の奥に見える乗客の数を数えて、「1両に10人弱程度だったかな、よしよし。」と、行動変容に取り組んでいる市民が多いことを確認して、少し心が晴れる思いをしつつも、明らかに普段よりも混んでいるスーパーマーケットに入ると、「これはマズイなぁ」と思うと同時に、外食の機会が減ればそれだけ自宅での食事の機会が増えることは必然で、お金の流れる向きがはっきりと変わったことを実感します。
ニュースでも取り上げられているように、住宅地に近い商店街の来客数が急増し、3密の危険性が指摘されていますが、毎週末、どこかの遊興施設に子供を連れて行かねばならなかったファミリーは、行き場を失い住まいの近くで時間消費をおこなうことも必然でしょうし、いろいろと理由をつけて家から逃げ出していたオヤジ・爺どもも仕方なく夫婦であての無いまち歩きに勤しむことにしたのでしょう。住宅地の中ですれ違う人の数が急に多くなったことでも、確実に市民の行動変容が進展していることを実感します。

この危機に際して、先の読めない今後について多くの人々が声を上げるようになってきました。
日本では、毎年1,000万人程度がインフルエンザに感染し、約10,000人程度が死亡している。一方、新型コロナウイルスは、2020年4月18日現在で、感染者数は10,000人弱。死亡者数は154人なので、お大騒ぎするに当たらないということを言う人もいます。
しかし、インフルエンザの致死率は0.1%であるのに対して、新型コロナウイルスの致死率は、80歳以上の高齢者で9%。全体平均で1.57%ですから、比較にならないほど危険です。また、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年のMERS(中東呼吸器症候群)も世界規模の感染でしたが、いずれも世界全体での死者数は1,000人に満たないのに対して、新型コロナウイルスでは、既に世界中で16万人以上が死亡しています。このまま感染が拡大してしまうと、世界中で5億人が感染し、1,700万人から5,000万人くらいの人が死亡したと云われる、1918年から流行したスペイン風邪に匹敵するほどの脅威となり得ると考える方が妥当ではないかと思います。このスペイン風邪では、日本では2,300万人以上が感染し、39万人近くの方が死亡し、致死率は1.63%でした。

にもかかわらず、緊急事態宣言を奇策といい、感染爆発(オーバーシュート)に対する警鐘を鳴らす厚生労働省新型コロナクラスター対策班の西浦博北海道大学教授を過激派と呼び、「緊急事態宣言は全国に拡大したまま5月6日以降も延長され、日本経済は壊滅するだろう。倒産・失業が激増して自殺者は1万人ぐらい増え、コロナの死者をはるかに上回るだろう。」と主張する経済学者も存在しています。この経済学者は、現政権は経産省から官邸に出向した官邸官僚に操られているというような表現もしています。(個人的には、現政権は官邸官僚とグルになっているという方が正しい認識ではないかと思っていますが…。)

3月になってからは、海外のサッカーの試合が全て中止になってしまったので昼間に観るはずの録画番組が無くなってしまったため、CXTVの『バイキング』を観る機会が増えています。
この情報番組では、かなり以前から後手後手に回り続ける政府の対応を批判し続けていますが、その中でずっと論じられているイシューに「人命優先か、経済重視か」ということがあります。さきほどの経済学者も「日本経済は壊滅するだろう。」と訴えているわけですが、ここで論じられている「経済」とは何なのでしょうか。
ここ数日の間に、「コロナは資本主義への挑戦である」とか「新自由主義の終焉」などといった論が語られるようになってきました。
すでに大方の人が予想しているように、緊急事態宣言は5月6日で解除できるものとは考えにくく、新型コロナウイルス感染症が完全に終息するのは集団免疫が獲得されるかワクチンが開発される時であると云われていることから、日常的にソーシャルディスタンスを維持し続けなければならない期間は1年半から2年程度続くのではないかという予測もあります。
無駄がなく、隙がない、現代の都市は、テクノロジーの粋を極め、資本主義の原理を極限まで推し進めているかに見え、日々、「社会的距離」など取りようもない満員電車で、「人材」を詰め込むだけ詰め込んで運ぶことで「効率」性を生んできた現代の都市、経済、社会システムという現代社会の前提が崩れようとしていて、都市に人と物を集中させることで効率化を図ってきたこれまでの価値観が大きく変わりはじめていると言っている人もいます。

直感的に想像可能なことですが、スコット・ギャロウェイ教授が経済世界の覇者として取り上げた、いわゆる「The four (GAFA)」といわれるような企業にとっては、今回のコロナウイルス禍はこれら企業の成長に対して逆風に働くというよりはむしろ追い風に働くであろうと考えられます。なぜならば、これらの企業はすべてオンラインの世界で収益を獲得する事業体だからです。
一方で、人が物理的に利用しなければ収益が発生しない業態、たとえば交通機関、遊興施設、飲食業などにとってはかなり致命的なインパクトがあると考えられます。その結果として、テナントの閉業という形で不動産業にも大きな影響が及ぶことが推測されます。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)流行時には、香港の大規模集合住宅内で集団感染が発生しました。この時は建物内の下水配管に問題があったことが原因だったようですが、今回の新型コロナウイルスにおいても、集合住宅内で集団感染が発生するようなことがあれば、さらに不動産業界への打撃は大きいものになるでしょう。
製造業に関して見れば、販売チャネルが変化することはあっても需要が消滅してしまうことは考えにくいので、健全な収益構造が保たれている事業体であれば壊滅的な状況になることはないものと推測されます。
政府は頑なに「生活困窮者に対する経済支援はおこなうが、事業者に対する休業補償はおこなわない」というスタンスを崩さずに来ました。これはある意味では正論と捉えることが出来ます。「救うのは生身の人間の命であって、法人ではない」ということです。しかしこれはかなりの邪推ですが、『国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか』の著者デービッド・アトキンソン小西美術工芸社社長の「中小企業の数を現在の半分以下まで減らすべきである」という主張が最近話題になっていることでもあり、現政権にべったりの官邸官僚は、今回の新型コロナウイルス禍を中小企業淘汰(統合)による日本経済社会の生産性向上実現のために利用するのではないかと想像出来ないものでもありません。

新型コロナウイルス感染拡大の早期終息のためには 「接触8割減を実現しなければならない。」「接触8割減を実現するためには、通勤者を減らすための休業要請が不可欠である。」「事業者に対する休業要請は休業補償とセットでなければならない。」ということが云われています。政府は事業者に対する休業補償を頑なに拒んでおり、その代わりとして全国民に対して一律10万円の給付を決定しましたが、そのための財政支出の総額は約13兆円と云われています。一方、2018年度の法人企業統計調査では、資本金10億円以上の大企業(金融・保険業を含む)の内部留保は同年度末では449兆1,420億円となり、過去最高を更新したと云われています。今回のような100年に一度の危機に際して、これら大企業が内部留保を取り崩して基金を設立するなり大規模な寄付行為をおこなうなどの決断をすれば、国家に頼ることなく多くの困窮者を救うことが出来るのではないかと思えますが、トヨタ自動車では三井住友銀行と三菱UFJ銀行に対して計1兆円規模のコミットメントライン(融資枠)の設定を要請したというようなことが伝えられています。これは、大企業の方が手元資金の流動性(現預金等)が中小企業よりも低く、業績が悪化すると早期に資金繰りが逼迫し黒字倒産する可能性が高いためだというように説明されています。株主の利益を最優先しなければならない資本主義の限界がこのようなところにも出ているように思えるところです。政府は2020年に売上が半減した月が生じた事業者に対しては、法人の場合最大200万円、個人事業者の場合最大100万円の持続化給付金の給付を決定しましたが、これ以外では融資もしくは特定の事業における部分的な補助金しか支援策を提示することは無く、いづれにしても、法人であっても極めて零細な事業者や個人事業主といった立場の人々については、ほぼ切り捨てられることは確実のように見えるわけで、固定的な顧客との間に強い信頼関係(ロイヤルティ/Loyalty)を確立している事業主であるかどうかが存否の分かれ目になるであろうと考えられます。

今、生命の安全性を担保するために、身体感覚に基づく満足を得ることが制限される(非接触が推奨される)社会になっているわけです。そしてこれは、もしかするとかなりの長期間続くかもしれない状況です。
そのような制約から私たちが解き放たれた時に、果たして「身体感覚に基づく満足が薄い日常」に慣れてしまっているのでしょうか。あるいは、「身体感覚に対する欲求が再来しさらに高まる社会」になっているでしょうか。2013年の東日本大震災が少なからず私たちの価値観に変化をもたらしたように、今回の新型コロナウイルス感染症も私たちに何某かの価値観変化をもたらすでしょう。それは、今後の社会の在り方にも少なからず影響を及ぼすことが想定されます。出来れば、人と人との間の物理的に濃密な関係に価値を感じることが出来る温かい社会であってくれることが望ましいと思います。

近年、事業価値を高める産業分野としてICT(Information and Communication Technology)やVR(Virtual Reality)、AR(Augmented Reality)、そしてAI(Artificial Intelligence)などのテクノロジーの分野が注目を集めてきましたが、ソーシャルディスタンスが必須という状況が発生し、さらにそれが長期化する可能性があるという認識が広まったことで、これらの産業分野の成長可能性はさらに高まったと考えられます。
現時点でも、日常生活を支えるインフラストラクチャーとしてこれらの産業技術は相当に浸透していると云えるでしょう。効率化という旗印の元、ペーパーレス化の進展は著しく、水道によって飲料水が供給されなければ…、電線によって電気が供給されなければ…、と同じように通信回線と通信機器によって外部社会と接続していなければ、極々シンプルな日常生活すら営めないという状態になりつつあります。過去においては選択の自由が担保されていたことが、これからは普通の社会生活を送るためには選択の余地が無いという時代になってゆくのでしょう。
現時点における身体の物理的な移動に制限が掛けられている社会において、これらの産業分野の事業体は火事場泥棒のように経済世界における成功を目指して活発化するでしょう。そして、政府が新型コロナウイルス対策として国民1人あたりに10万円の現金を給付するにあたり、経済同友会の桜田謙悟代表幹事が「電子マネーでの給付が望ましい」などという我田引水な発言をおこなうように、他人の生活のピンチを自社の事業のチャンスに利用する輩が多発することが推測されます。また、有識者あるいは情報番組のコメンテーターなどと云われる人々の中には、「今回の現金給付をマイナンバーカードの発行とバーターにすることによってマイナンバーカードの発行を促進させれば良いのに」といった発言をする者も散見されます。

米ハーバード大学ビジネススクールのショシャナ・ズボフ名誉教授は、これまでの資本主義は自然界に存在する素材を商品とした「産業資本主義」であったのに対して、これからは監視によって得たデータを商品化することが利益となる「監視資本主義」の時代になると言っているようです。今や、マーケティングにおいてビッグデータの活用は常識となっています。
このたびの新型コロナウイルス禍に際して、ソフトバンクの子会社である日本コンピュータビジョン(JCV)は、0.5秒で顔認証と体温検知を同時に行なうAI体温検知ソリューション「SenseThunder」の正式販売を2020年4月15日に開始しました。この機器は特定の施設の特定の場所を通過した個人を特定することが出来る顔認証の技術を応用して製作されたものですが、セキュリティ対策用に開発されたこのような機器が多くの場所に設置され、その情報が公衆回線を通じて管理される社会では、特定の個人の行動履歴を抽出することが可能になります。AppleとGoogleは、Bluetooth Low Energy(BLE)によってiPhoneユーザー同士の接触歴を記録し、新型コロナウイルスに感染した患者と濃厚接触した疑いのある利用者に対してスマートフォンで通知する仕組みである「Contact Tracing」を共同開発したことを2020年4月10日に発表しました。またすでにGoogleでは、Google Mapに「タイムライン」という機能を追加しています。この機能によってスマートフォンのGPS機能を利用しているユーザーの行動履歴がGoogleアカウントに紐づけされ確認することが出来るようになっています。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、米国ではテロとの戦いの一環として、2008年7月9日に裁判所の令状無しで海外の電話・電子メールなどの盗聴を合法化する外国情報活動監視法(FISA)改正案が上院で可決され、情報提供に協力する通信会社の免責事項も条文に盛り込まれました。2013年6月には、元CIAスタッフのエドワード・スノーデンの情報提供により、アメリカ国家安全保障局(NSA)がグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、アップルなどインターネット関連企業大手9社のサーバに直接アクセスし、電子メール、インスタントメッセージ、接続記録、動画閲覧記録などを含むユーザーデータを収集、分析していたことがガーディアンおよびワシントン・ポストによって報じられました。このことは当時大きな反響を呼びましたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、わが国では欧米諸国のような都市封鎖(ロックダウン)を憲法上おこなうことが出来ず、あくまでも「命令」ではなく「要請」に留まらざるを得ないことに対して、より強い強制力を政府が行使できるように法改正をおこなった方が良いというような意見を持つ人々が出てきています。
現内閣総理大臣は4月7日に、憲法改正による緊急事態条項の導入について国会の議論を促しました。
現政権の憲法改正案に盛り込まれている緊急事態条項は、「大災害や武力攻撃などによって国家の秩序などが脅かされる状況に陥った場合、政府などの一部機関に大幅な権限を与えたり、人権保障を停止したりする、非常措置をとる」ことを定めた規定です。この案で想定している緊急事態は(1)外部からの武力攻撃、(2)内乱等の社会秩序の混乱、(3)大規模な自然災害などとなっていますが、緊急事態の規定があいまいなために、政府が内乱発生以外でも社会秩序が混乱していると判断した場合や、その他の法律で“ある状況”を緊急事態と定めた場合には、この改憲案では「緊急事態が宣言、発せられた場合は内閣が法律と同じ効力を持つ政令を発することができる」となっているので、内閣が、例えば“裁判所の令状なしでの身柄拘束”を可能とする政令を発することなどが出来るようになるわけで、司法(裁判所)や立法府(国会)が行政府(内閣)を抑制することが出来ない状態、つまり、実質的に内閣の独裁を容認することになってしまいます。

新型コロナウイルス感染拡大という私たちの生命に対する脅威に際して、これを、自らの権力、権益、支配力の拡張に利用する勢力が伸長することが危惧されます。目前の恐怖を回避するための安易な選択が、将来において私たちの自由や人権を阻害することにならないように意識していなければいけないと感じているところです。

SOI

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