ビデオ上映『身体化する建築』
「HILLSIDE TERRACE 1969-2019」が開催されているヒルサイドテラスF棟の資料閲覧コーナーでは、ヒルサイドテラスの住人へのインタビューで構成されたビデオ『身体化する建築』が上映されています。
ヒルサイドテラスで自分たちの事務所を構えさせてもらったことは、僕自身の動き方とか考え方に大きな影響を与えてくれている。僕はこの貴重な体験をいろいろな人たちにわかってもらいたい。
自分が居住している、あるいは働いているささやかな場所の中で、出来るだけ良い関係性を作ってゆく。確かな活動をしてくってことがすごく意味がある。
まがい物ではありたくないなっていう。それを培っていくことを教えてくれたのはヒルサイドテラスのお客様だったり、お店だったり…。
ヒルサイドテラスと云えば槇さんが建てて、当時アヴァンギャルドな活動をしている北川フラムさんが居て、当時ここが一番、僕らの中ですごいとんでもない場所だった。
ヒルサイドテラスの佇まい。それは建築だけではなくてその周りも含むコミュニティ。端的に言えば住んでいる方が醸し出していると思う。
度量の広さというか、ヒルサイドテラスの本質って多様性ではないかと思っているんですけど、何事でも知的に理解してもらえる、聞く耳を持ってもらえる器の広さがある。
「えっ?ヒルサイドテラスに住んでいるんですか?」って言われますけど、単なる住人や単なるテナントがみんな自分事になってヒルサイドテラスを運営してるっていう。まぁ、昔の長屋のような。それは素晴らしいですよね。
住人の方や事務所としてやられておられる方、お店を持っている人という交流ももちろんですけれども、そことまちにいらっしゃる方たちとの交流ということ。それがヒルサイドの中であるということはとても有意義ですし、しっかりとしたまちのコミュニケーションを感じることが出来ますね。そういう出会いから生まれる出来事とかきっかけというのは、単純に仕事というやりとりではなくて、もっと温かい感情のやりとりの中で成立することだなぁと思いますね。
刻々とまちと云うのは変化するものですけど、その中でヒルサイドテラスはまちの変わり方のひとつのお手本になっているような気がするんです。それは極端に変わるのではなくて、人の気持ちに沿ってゆっくりと変わりながら、そして大事な部分だけはいつもある。
売ったり買ったりするのが不動産業ではないと思っていて、そこにあるものをいかに利用してやっていくかというのが不動産業で、不動産は長年使ってゆくとそこにいろんな人が関わって、そこにいろんな価値が生まれてくると、それは建物だけの価値ではなくていろんな場が出来るわけですよね。
ここは間違いなく建物から始まっている。槇さんが作ったこの建物が代官山の方向を作ったような気がしますね。
デベロッパーが投資の対象として開発をするのと違って、そこに朝倉家が住み続けるというのがひとつの特徴だったと思いますね。
朝倉さんと緊密に考えて「次はどうしようか…」とか、いろんなことをやっていくうちにコミュニティが出来てきたのではないかと思います。まぁ、非常に幸せなケースだったとは思いますね。
小さな嬉しさみたいなものの積み重ねがヒルサイドの場合はありますね。作った人にとってかなり身体化しているわけですね。
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